教員の休職インタビュー vol.3 ~教師3年目の苦悩~(前編)

「うつは生活習慣病だなと感じるんです」

客観的に当時のご自身を振り返ってそうおっしゃった木内美奈さん(仮名)

その真意は?そして、健やかに先生を続けていく秘訣について話して頂きました。

目次

3年目の不調。何があったのか。

うつになる以前の話を聞いても良いですか?
  

教師一年目は講師として、とても充実した日々でした。
先生同士でご飯に行ったり、普段のコミュニケーションも円滑でした。
  

教師二年目に採用試験に合格し、前任校よりも少し規模が大きい学校で、私は中学三年生の副担任になりました。
  

荒れている学校らしいとのことで、少し不安はありました。
実際に行ってみると、授業中にスマホをいじるのは当たり前、席を勝手に移動してうるさくしていたり、授業がままならない状態で。
  

その年、初任者研修に行った際、「理想の教師とは」という話をしていて、研修で話す内容と、いま自分が実際に送っている現場の状況に、あまりにも差がありすぎて、ボロボロ涙がこぼれてきたことを今でも覚えています。

 

そのような学校の状態をどう感じていましたか?
  

「生徒は何かに困っているんだろうな」と感じていました。
どう表現したらいいのかわからず、先生の顔を見るとつい「死ね」と言ってしまうんだろうなと。
  

でも、ずっと関わり続けていた子が少しずつ変わっていき頼ってくれるようになったり、すごくやりがいも感じていました。
  

3年生を送り出した時に、「1年やり切れてよかった」という気持ちと同時に、全てがチャラになった気がしました。
  

不調の原因や経過は?

翌年に初めて担任した自分のクラスが少しづつ荒れてきたんです。
他の先生に相談したり、学年会議で話したりしてもなかなか改善されなくて。
  

今でも覚えているのが、通勤の車の中で涙が止まらなくなったこと。
「最初からわたしの存在がなかったことになればいいのに」とふと思ってしまうんです。
  

でも、死んでも迷惑がかかるから、死にたいとも思えなくて。
  

―決定的な出来事はありましたか?  
  

自分のクラスの状況について校長室で集まって話している最中、A先生に
「お前が全部悪い。仕事もろくにせずに帰りも遅くなって、体調崩して。全部お前の責任。
このままだったら10年後疎まれるだけの教師になるわ。」と面と向かって言われたときに、糸がプツっと切れた気がしました。  
  

怒りとか反発がわく気力さえ残っていませんでした。
  

―それで、病院に行ったんですね。

そうです。

実家の母親にお願いして一緒にメンタルクリニックに行きました。
病院に行ったら、即ドクターストップでした。
正直、診断が下った時、一番にほっとしました。これで休めるんだ。って。
   

校長先生やお世話になっていた先生に
「あの時、かばってやれなくてごめん。先生に救ってほしい子供がたくさんいる。
しっかり休んでほしい。」と言っていただき、3カ月の休職に入りました。

教師を辞めずに休職したのは、見ていてくれている人がいるんだったら、その声を信じよう、と思ったからです。
  

3か月間の休職中はどのように過ごしていましたか?

休職に入った瞬間から、身体が動かなくなりました。
本当に一日中寝て過ごしました。
  

安定剤が処方されたので、それを服用していました。
それが効いていたというよりも、寝ても寝ても回復しない感じでした。
  

夜は薬を飲まないと寝られず、睡眠導入剤を服用して眠れていましたが、日中は薬は関係なく、ずっと本当にずっと眠っていました。
  

クラス全員から手紙をもらっていたのですが、返事も書けないくらいにずっと寝ていました。
  

―3カ月で復帰したということでしたが、病状はよくなったと感じましたか?
  

休職前よりひどくなっているんじゃないか?という状態で、正直、その頃の記憶がないんです。
  

同い年の先生には
「復職するんだったら、中途半端な働き方しないでほしい。見てられない。」
と言われたこともあります。
  

それは自分が一番思っていたことで、日々罪悪感が大きかったです。
  
  

―その後、再度休職したんですよね。
  

そうです。

辞めるしかないと感じましたが、校長先生から
「休職制度を使おう。一回、しっかり身体を休めてほしい。」
と言って頂けてそこから、丸二年弱、休職しました。
  

―その二年弱の休職期間はどのように過ごしましたか?
  

カウンセリングを月に一回程度。
教育委員会の面談が二カ月に一回程度ありました。
  

最低三カ月ごとに、休職の手続きのために診断書を持っていっていました。
  

―心境の変化はありましたか?
  

本当に沢山、毎日毎日寝て、元気が出てきたころ
「体調を整えながら、楽しいことをしよう。」と思えるようになりました。
  

そこから、自分の人生と向き合うことに時間を使いました。
  

部屋の模様替えもしたし、婚活もしました。

そしてその時に今の旦那さんに出会えたことは大きな転機になりました。
うつで休職していることも最初から話していたのですが、お付き合いがスタートして。
ありのままの自分でも受け入れてもらえる安心感がありました。

   

元気が出て、自分の人生を取り戻した木内美奈さんの、休職後の決断とは?

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この記事を書いた人

EDULIFE代表 松崎祐子
コーチ/大学講師(言語学)

自分らしく健やかであり続ける先生のサポーター

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