インタビュー 先生の休職 vol.1~教員1年目のリアル(前編)

教員採用試験に合格し、念願の小学校の先生になった大山愛さん(仮名)が、教員1年目に直面した休職について、お話を聞きました。

1年目の5月くらいから、先輩の先生と「なんだかうまくいかないな」、と感じ始めて、7月に「怖い」と感じるようになったそうです。

Twitterの下書きにその時の気持ちのメモが残っていました。

ー休職するまでの様子から伺わせてください。

ストレスは睡眠に影響があることが多いですが、当時眠れなくなったという感覚はありましたか?

睡眠は浅くはなっていましたが、眠ることはできていました。でも7月には、3時くらいまで寝られない日がありました。たまたまiphoneに記録が残っていたのですが、4月、5月で平均睡眠時間が4時間50分でした。

朝の5時に起き、6時45分には学校に到着するという生活でした。

ー夜中まで起きている日が多いですが、何をしていたか覚えていますか?

普段から12時には寝ようとしていたので、単に眠れなかったんだと思います。

授業準備については、「自分が満足するまで準備するのは無理なんだ。」と早い段階で感じました。それよりも、「学校に行かないと。」という気持ちの方が強かったです。

担任をしていたクラスは1年生でした。

1年生だからこそ、教え子たちには、何よりも学校が楽しい場所と感じてもらうことが大切だと思っていました。でも、指導してくださっていた先生の考え方とは正反対だったようです。

例えば、当時はまだコロナも流行っていなかったので、給食の時間は班のみんなで楽しく会話しながら過ごしてほしいと私は思っていました。でも、その先生は、給食の時の会話は禁止。私のクラスまで来て、「うるさいわね。」と怒る。

休み時間の過ごし方も、それぞれが好きなように過ごして欲しいと私は思っていました。でも、その先生は「全員外に出て遊ばせる。」という方針で、私が生徒を図書室に連れて行ったら怒られる。

自分なりに、教え子一人一人が楽しく過ごせるように考えていたつもりですが、それらが、その先生の考えと合わなかったようです。

ー当時、生徒や他の先生の前で叱責されることをどう捉えていましたか?

「私にばっかり言ってくるな。」とは少し思っていましたが、「愛情を持って言ってくれている。」と思っていました。

言い方や接し方はすごく怖かったけど、言ってることは正しいと感じていました。尊敬できるところもあったので、怖かったけれど、その先生の言葉をスルーすることもできない状態でした。

私は、嫌な言い方や怖い態度、すべての指導に対して、「私のためを思って、色々言ってくれるているんだから、悪く思ってはいけない。」と考えていました。自分で言うのもなんですけど「すごくいい子」だったと思います。

今思えば、私も、「そういう言い方は怖いです。」と言えたら良かったのかもしれませんね。

ー初めて休職した時、どんな経緯だったのですか?

身体に来てるな、と思い始めたのは、10月あたりです。

10月に、大きな行事あって、その準備がすごく忙しかったのを覚えています。

熱が出始めて、その行事に向けて、すごくすごく頑張ったけど、終わった後、ぷつんと糸が切れて体が動かなくなってしまいました。

自分を奮い立たせてなんとか学校に行っていましたが、本当に身体がついていかなくなり、その11月半ばから12月まで2週間休みました。

ー2週間のお休みの間はどのように過ごしましたか?

2週間休んでいた間に、福利厚生の冊子に乗っていた近くの病院に行ってみよう、と初めて病院に行きました。

実は休む前から、家族からは「病院に行った方がいい。」と言われていたんですが、「自分が精神的に病むなんて、そんなはずはない。」と認めたくなくなかったんです。

家の近くの精神科に行ったら、その場で「適応障害ですね。」と診断されました。

ーその時はどんな気持ちでしたか?

正直言って、嫌でした。

ほっとするより、「治らなかったらどうしよう!これからずっと薬飲まないといけないのかな。」と不安を感じました。

ーその時、医師と他にどんなことを話しましたか?

医師と話している時に、「教師を辞めたらいいんですよ。」と言われたんです。「辞めたら、適応障害も治ります。」とも言われました。そう言われて、「教師をやりたくてやってるのに、なんでひどいことを言うんだ!」と、その時は思いました。

でも、今振り返ると、そういう道もあると知れたことは良かったです。学校の中だけだったら、「休職」の一択しかありません。他の先生には「何があっても続けた方がいいよ。」と言われていました。

なので、精神科の先生に「別の道、別の見方があるよ。」と言ってもらえたことは、心の余裕に繋がった気がします。

ただ、私の中で、当時担任していた教え子たちの事がとても気がかりでした。

「教え子が進級する3月までは、学校に行きたいです。」と主治医の先生に言いました。

2週間休んで、12月に復帰し、お薬を飲みながらなんとか学校にいくことにしました。しかし、どうしても身体がついていかず、1月の後半から2月は丸1か月お休みました。

1カ月休んだ後、3月に復帰する時は、心身共に元気になったと自分でも感じていて、「次の年度もやれそう。」と思うくらいになっていました。

ーそのお休み期間中は、どんな風に過ごしていたんですか?

もう少し寄り添ってくれる病院がいいなと思い、色々と調べて病院を変えたんです。

1時間程度のカウンセリングあとに、先生の診療がある病院にしました。

  

大山愛さんが元気を取り戻したあとにした決断とは?

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この記事を書いた人

EDULIFE代表 松崎祐子
コーチ/大学講師(言語学)

自分らしく健やかであり続ける先生のサポーター

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