インタビュー 先生の休職 vol.1~教員1年目のリアル(後編)

教員一年目に休職を経験した大山愛さん(仮名)
短い期間の休職のあと、どのような経過をたどったのでしょうか。

ーそして心身共に元気になったと感じていたんですね。3月の復帰はどうでしたか? 

復帰した日のことは今でも覚えています。学校に着いて、その先生を見た瞬間、動悸もしたし、過呼吸の症状も出て、手の震えも出ました。

その時に、「私は、もう教師を続けられないんだな。」と感じました。

「適応障害は、環境が変われば良くなりますよ。」と医師から言われていました。

その先生に会わず、休んでいる時には「良くなった」と思っていたんですが、会った瞬間に身体に変化が出てしまいました。

周りから見ても明らかに、この状態は良くないとわかったと思います。

そして、3月から本格的に休職することになりました。

ー休職中はずっと通院していたんですか?

3月から6月くらいまでは定期的に通院していました。

その後、自分の見方を変えようと、今までしたことがないことをしたり、色んな人に会ったりして、色んな生き方があることを知りました。そして、9月、10月頃には、薬を飲まなくても大丈夫と思える状態になりました。

ー定期的な通院中、カウンセリングではどのようなことをしましたか?

通っていた病院は、毎回1時間くらいのプログラムを受けて、その後15分くらい主治医の先生と話す、という流れでした。

全部は覚えていませんが、色々な手法をしてくださり、「カウンセラーの方に話聞いてもらう」「フラワーパッチのような民間療法」「認知行動療法」などもやりました。

毎回色んな手法をしてもらいました。また、同じ方ではなく、毎回違う方が担当してくれていました。

この病院でいろんな考え方、見方を学べたことが良かったです。通う頻度は週1回~二週間に一回くらいで、カウンセラー代は自費で支払っていました。

週に一回カウンセリングを受けるとなると、ある程度まとまった金額になりましたが、その時は実家に戻っていたのと、お給料を休職中も全額いただけていたので、お金の心配はあまりありませんでした。

心身共に元気になるために、必要だと感じたので通い続けました。

ーカウンセリングに時間をかけて良かったと思うのは、どんなところですか?

やはり一番は、色々な見方を知れたことです。見方が凝り固まってたからしんどくなっていた、と今振り返って思います。

カウンセラーさんは色々な人がいました。柔らかい雰囲気の方もいれば、ぱきぱき話す方もいました。心理学的な観点で、「自分がどう捉えているかですよね。」とはっきり言ってくれる人もいました。「辛かったですよね。」と、共感だけではないことが私には良かったです。

同じカウンセラーさんに「つらかったですね。」と言われるばかりではなく、「別の見方をしてみると良いですよ。」という方、「上手くいってることに目を向けましょう。」と言う方、色々なアプローチをしてもらいました。

色々な人が別の視点で話してくれたことが良かったです。そこで、「そっか、人によって考え方は違うんだ。」という事が、本当の意味で腑に落ちたと思います。

ーその後、どんな選択をされたんですか?

「ちょっとだけ休もう。」と3月に休職しましたが、結局は9月に退職することを決めました。

3月に休職する時に半年間の診断書をもらっていたので、9月に、次の診断書をもらうタイミングが来ました。そのタイミングで、退職の決断をしました。

9月にはもう薬も必要なくなり、心身共に元気になってきていました。

でも、まだ学校に戻れるほどではありませんでした。

そこで次の診断書をもらって休み続けることを選択しなかったのは、やはり「お金をもらって休んでいる」ということに引け目があったからです。

3月に本格的な休職に入る前、その先生に、「いいご身分ね、休職なんて。」と言われたこともずっと頭の中に残っていました。

自分の中では、休職を使わない自分になりたかった、ということもありました。

ー「いいご身分ね」という発言は衝撃的ですね。

その先生には、私が「教育業界に馴染めない弱い人」と見えていたと思うんです。その先生は「馴染めない人は駄目、正してあげている。」という感じでした。

純粋に「自分が良いことをやっている。」と本当に思っている感じでした。

ーあの時、どんな選択肢や環境があったら、復帰できたと思いますか?

私が違う学校に変われたなら、もしかしたら学校に戻れてたのではないか、と今でも思います。「1年休んで、次の3月から戻りたい。」と。

でも、違う学校に行けたり、その先生が異動したりすることはないということが分かっていました。

私は初任で、3年は同じ学校ということは決まっていましたし、その先生も異動してきたばかりで、あと2、3年同じ学校にいることは確実でした。

だから、9月の段階で決断しました。

ー今の元気になった状態で、同じ状況になったとします。

「今だったらこうするだろうな」というイメージはありますか?

今なら、その先生に対しても「こういう人なんだな。」と思えるのではないかと思います。初めての学校教育現場で、人間関係の波がものすごく荒波だった感じです。当時はそう思えなかったですけど。

ー今、客観的に振り返ると、どのタイミングで専門家に相談していたらベストだと感じますか?

最初に心がぽきっと折れ、2週間休んだ時に、専門家に相談してたいら、その後の状況は違ったかなと感じています。その時に自分の感情を整理したり、別の見方を教えてもらっていたら、その後、長く休職する状態にまでならなかったのでは?と思います。

同僚に勇気を出して伝えた時、「怖いよね。」「大変だね。」という言葉をもらいましたが、私は、共感してもらうより、別の見方を教えてもらえる方が変わるな、という感覚がありました。

ー最後に、いままさに悩んでいる先生に伝えたい事はありますか?

今、とても辛い状況だったとしても、色々なものの見方を知ったら、楽になるかもしれません。

同じ業界ではない人や専門家に相談してみたら、自分の見方が変わるかもしれないので、今までと違う行動をしてみてください。

≪EDULIFE代表 松崎所感≫

このインタビュー記事を読んで、みなさんはどのような感想を抱いたでしょうか。

私は、ここで、なにが正しい、なにが正しくないという議論をしたいわけではありません。

100人いれば100通りの正義があるからです。

私が皆さんと一緒に考えたいのは、「どうしたら大山愛さんは先生を続けることができたのだろうか?」ということです。

どのタイミングでどんなサポートがあれば、教え子想いの大山愛さんが、今日も笑顔で教壇に立つことができていたのだろう?

その思いつく限りのサポートを、EDULIFEでできていたらと考えずにはいられません。

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この記事を書いた人

EDULIFE代表 松崎祐子
コーチ/大学講師(言語学)

自分らしく健やかであり続ける先生のサポーター

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